理系凡人のつぶやき

科学に関することだけでなく興味があることについていろいろと書いていくつもりです。

「嘘と絶望の生命科学」を読んでみた 中編

前編からの続きです。

教授たちは、大学院生やポスドクの問題で大きな声をあげることはない。自分たちの学問の自由を侵すものには反対するのに、若手研究者たちの学問の自由を奪いながら研究している。

大学院生やポスドク、テクニカルスタッフなどのピペドを使い、時に監視カメラまで使い、朝から朝まで働かせ、成果を求める。逆らえばアカハラまがいに学位、推薦状、場所、機器の使用などの停止、雇用終了で脅しをかける。ピペドが潰れても、新しいピペドを補充。この構造で得をしているのは、明らかに教授やチームリーダーなどの研究室主宰者だ。

国がギリギリと短期の研究成果でリーダー研究者にプレッシャーをかけ、リーダーがピペドたちにギリギリとプレッシャーをかける。(中略)結局誰も得をしていないのではないのか。

 2000年までにポスドクを1万人まで増やすという「ポストドクター等1万人支援計画」や運営交付金の減額(毎年1%)、競争的資金など外部資金への依存度の上昇(1990年では内部資金と外部資金の比がおよそ9:1だったのが2011年では7:3へと変化した)などが国の政策として進められてきたわけですが、その結果として前編や上に書いたような悲惨な状況が生じてしまっています。以前記事にしたように研究者には不正を誘発するようなプレッシャーがかけられています。それではこのような苛烈な競争環境を強いたことで望むような成果が出ているかというと、そうでもないようです。

エルゼビア社の調査では、全分野の論文数をみると、論文数を増やす諸外国に対し、日本のみ2000年代半ばからまったく増加がみられず、逆に低下している。

 という有様。論文数だけで評価することはできないかもしれませんが、日本の科学だけが取り残されている感が否めません。

 

後編へ続きます。