理系凡人のつぶやき

科学に関することだけでなく興味があることについていろいろと書いていくつもりです。

役に立つこと立たないこと

 みなさんは寺田寅彦という人物を知っていますか?寺田寅彦(1878~1935)は東京帝国大学の教授で物理学の研究を行っていた人物です。物理学だけでなく俳句などの文学にも造詣が深く、夏目漱石とも親交が深かったようです。自分は夏目漱石の小説が好きなので寺田寅彦の書いたもの(主に随筆)を読むようになりました。その中で少し面白いものがあったので紹介したいと思います。 

俳句と地球物理 (ランティエ叢書)

俳句と地球物理 (ランティエ叢書)

 

 

 今回紹介したいのは「鉛をかじる虫」という話で内容をざっと説明すると、寅彦がある研究所を訪れた際に地下電線の被服鉛管をかじる虫というのを紹介されます。寅彦はこの虫が鉛をかじり鉛の糞をするというのに驚き、そこからあれこれと連想するという話です。

鉛を食って鉛の糞をしたのでは、いわば米を食って米の糞をするようなもので、一体それがこの虫のために何の足しになるかということである。

 寅彦はこのような虫の習性から、「多くを忘れてしまう小学校から大学までに得た知識」を連想し、

そんなに綺麗に忘れてしまう位ならば初めから教わらなくても同じではないかという疑問が起こるとすれば、これは自分が今この鉛を食う虫に対して抱いた疑問と少し似た所がある。「知らない」と「忘れた」とは根本的にちがう。これはいう迄もないことである。然しそれが全く同じであるとしても、忘れなかった僅少なプロセント(注:パーセント)がその人にとってはもっとも必要な全部であるかも知れないのである。

と述べています。そして、

「無駄を伴わない滓を出さない有益なものは一つもない」 という言明は、どうも少くも一つの作業仮説として試みに使って見てもいいように思われる。

(中略)

鉛をかじる虫も、人間が見ると能率ゼロのように見えても実はそうでなくて、虫の方で人間を笑って居るかも知れない。

と続け、最終的に

こう考えて見ると、道楽息子でも矢張学校へやった方がいいように思われ、分からないむずかしい本でも読んだ方がいいようであり、ろくでもない研究でも、しないよりはした方がいいようにも思われ、又こんな下らない随筆でも書かないよりは書いた方がいいようにも思われてくるのである。

と結んでいます。

 すぐに役に立たないからといってそれを切り捨てるのではなく、ある程度の余裕をもって物事に当たるべきで、役に立つものだけに群がって「無駄」を切り詰めているばかりだとしっぺ返しをくうのかもしれません。

みなさんはどう思われましたか?

 少なくとも自分には、こんなブログでも書かないよりは書いた方がいいように思えてきました。